一歩下がって考えてみた-Black tee thinking

50代、海外在住です。日々気づいたことを書き溜めています。

超高齢化社会、コストがかかる一部の高齢者に安楽死を許容するのは非常識か(2023年4月20日)

今日の報道で社会保険料率が30%近くに達するとの報道があった。この殆どを占める健康保険料と厚生年金は労使折半なので、個人単位の負担は15%弱にはなるが、マクロ的な視点では30%で捉えたほうがよいだろう。

この背景は言うまでもなく少子高齢化だ。若年人口が減る一方で平均寿命が延びた結果、日本の総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は29%を超えてしまっている。この数字は世界のトップクラスであり、人口5000万人超の国で日本に近いのはイタリア(24%、6030万人)、ドイツ(22%、8390万人)、フランス(21%、6560万人)あたりになる。急激に高齢化が進んでいると言われている韓国(人口は5130万人)では17%程度だ。

この問題の難しいのは打開策に乏しく、時間がかかることだ。そもそも先進国では少子化対策は難しくなっているうえ、結果が出るまでに数十年単位の時間を要する。一方で高齢化の進行は今後ペースダウンはあり得ても、数字が良化することはまずあり得ない。出生率の向上に向けた取り組みは行われているが、政府側も焼け石に水であることは理解しているはずだ。なので、根本的に仕組みを変える以外に方法はない

考えられる方策は二つ。移民の大規模導入か安楽死の容認だろう。

移民の導入は他のG7諸国でも行われている。移民の割合はG7諸国では大抵10%台半ばだ。アメリカは15.3%、イギリスは13.4%、フランスは13.1%、ドイツは18.8%という具合だ。同じ統計において日本は2.2%。移民を入れることで生産年齢人口が向上するうえに、一般的に移民は出生率が高いので少子高齢化の双方にダブルで効いてくる構図だ。

より過激な選択肢ではあるが、安楽死の容認は有力な選択肢になりうる。冷酷に聞こえると思うが、高いコストを社会が負担して高齢者を生き永らえさせる必然性は乏しい。各高齢者をケアするコストが一定額を超えた時点で、超過部分を自己負担出来ない場合は安楽死を許容することは一定の合理性はある。その高齢者がこれ以上寿命を延ばしても社会にはマイナスしかないのだ。人権を重視する現代社会では難しい判断ではあるが、移民の導入さえもできない国民であれば、この程度の負担は受け入れるべきではないかと思う。

確かに高齢者は敬うべき存在だが、青天井にコストをかけても養うべき存在ではない。社会全体の幸福の総量を考えながら政策を考える必要がある

 

(参考にしたサイト)

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2001L0Q3A420C2000000/

https://www.globalnote.jp/post-3770.html

https://memorva.jp/ranking/unfpa/who_whs_population.php

https://ecodb.net/ranking/unms_pot.html