一歩下がって考えてみた-Black tee thinking

50代、海外在住です。日々気づいたことを書き溜めています。

「宗教2世」問題、ポイントは宗教ではなく「親になるための教育」(2023年4月21日)

「宗教2世」に関するメディア記事を最近よく見かける。きっかけは安部元首相銃撃事件だ。犯行の動機として母親が新興宗教に多額の寄付を行っていたことを挙げたため、特にクローズアップされている。犯人の生い立ちは兎も角、寄付を強要する宗教団体があれば、それは取り締まる必要があることは当然だ。但し「宗教2世」を敢えて括りだすことに違和感を感じる

「宗教2世」を生みだす原因を煎じ詰めると「宗教団体の在り方」と「親の不適切な行動」の2つに帰着する。このうち前者は社会問題であり、宗教団体の活動内容次第では警察等が対処すべきことだ。団体によっては寄付集めが目的化しているものもあると思われるので、悪質なものを当然排除すべきだ。宗教が絡むと法律論的な難しさがあるが、大枠の方向性に大半の人々は同意するだろう。

一方で「親の不適切な行動」については根本から対処することは難しい。そもそも「多額な寄付の強要に応じてしまう」ことは「人としての不適切な行動」の類型の一つに過ぎない。不適切な行動としては「虐待」や「育児放棄」のほうが事例として多いのではないか。更に言えば、それら「虐待」や「育児放棄」の背景に「貧困」「シングルペアレント」等の事情が絡み合っている。

社会として対処する必要があるのは「親への教育」なのだ。関心を惹くテーマとして「宗教2世」をピンポイントで採り上げることはメディアの生業としてやむを得ないが、「人の親として何をすべきか」を改めて教える機会が必要だろう。「多額の寄付」「虐待」「育児放棄」等の行動が不適切であることを改めて教えるしかない。「その程度で人は変わらない」等の批判もあると思うが、それでも問題が発生するようであればやむを得ない。所詮は「親ガチャ」の世界であり、法に触れるほどの状況でない限り、社会としても対処が難しいのは現実だ。

やはり「親になるための教育」を社会が行うべきだろう。画一的になりすぎてはいけないが、ある程度の「基準」を示してあげることも必要だ。自分の家族体験のみを頼りに親になることの異常さを我々は改めて認識すべきだろう。「貧困は遺伝する」と言われる遠因の一つもこれではないか。何か出来ることがないか、自分自身でも考えてみたい。