一歩下がって考えてみた-Black tee thinking

50代、海外在住です。日々気づいたことを書き溜めています。

「反ルッキズム」で社会はもっと無機質になる(2023年4月19日)

「反ルッキズム」とは何なのか?

そもそも「ルッキズム」の考えが今一つわかりづらい。「外見重視主義」などと解説されるが、Wikipediaではもう少し詳しく「外見や見た目の良し悪しといった視覚的情報によってその対象(自分自身を含む)を価値づける行為」と説明している。言葉自体は1970年代からあったらしく、太った人々によって作られた説もあるようだ。つまり「ルッキズム」のポイントは外見に対して「評価」等の具体的な価値を顕在化させることと言い換えることが出来る。

つまり今広がっている「反ルッキズム」とは「容姿を理由に不当な評価をしない」ということだ。報道では「差別や偏見」も含めて解説しているケースがあるが、そもそも「差別や偏見」は許されないので、ここでは「不当な評価」としておこう。つまり外見が魅力的な人は仕事や学業等でも得をする可能性があるので、外見にとらわれず平等に扱おうということだ。

これに対する反論としては、例えば営業職や極端な例では芸能人等については「反ルッキズム」を徹底出来ない等の主張もあろう。確かにこれらの職種ではでは採用や評価には「総合的に魅力的であること」が大きな要素として加わる点は間違いない。但し、その点については飽くまで評価の基準を「外見が魅力的かどうか」ではなく、「高い業績を上げているか(上げられそうか)」に置けば問題ないということなのだろう。

では、日常の場で相手に対して「美しい」「かっこいい」「可愛い」等と表現するのは良くないのだろうか。「ルッキズム」の観点ではこれもNGらしい。ビジネス等の場では外見を評価する言葉は不要であり、日常の場でも外見に言及することは避ける。相手を褒める場合は「髪型」、「服装」等に着目するか、「あなたの目が好き」等のアイメッセージで褒めるのがよいらしい。

それでも「反ルッキズム」が今一つ腑に落ちないのは、人間はそもそも本能的に美しく見えるものに惹かれることだ。つまりここでも我々は本能的欲求を隠すように求められている。職場の異性に惹かれても、それを抑制するよう求められるのと同様に、ここでも我々は本能的なものから出てくる自然な考えを否定し抑制するように求められる。外見の良し悪しで評価を変えることや、職場の異性に不快な想いをさせることを肯定するわけではないが、一層我々の生活が無機質になっていくような気がしてならない。

 

(参考にしたサイト)

https://news.yahoo.co.jp/articles/4eeb6180eb4571a96cf34d08e879dafd81965825

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0

https://liensbleu.com/diversity/post-2709/