一歩下がって考えてみた-Black tee thinking

50代、海外在住です。日々気づいたことを書き溜めています。

差別の排除が不平等に繋がる難しさ~トランスジェンダーのスポーツ競技問題(2023年4月23日)

 LGBTQに関する認知は21世紀にはいって急速に向上している。昔は蔑視やからかいの対象になることもあったが、今ではそのような認識を持つ人は少数派だろう。LGBTQに対して否定的な考えを表明すると社会的に指弾されることもあり、少なくとも表面的には日本もLGBTQに対してより寛容になった。

一方で社会の意識の変化に制度が追い付かないケースも多い同性結婚については人口カバー率では65%以上の自治体がパートナーシップ制度を導入するなど取組が広がっているが、法律婚との違いは大きい。トイレ問題についてもオールジェンダートイレを設置する建物も増えているが、まだ一部に留まっている。

このLGBTQに関連して最近ニュースでも頻繁に見かけるのが「トランスジェンダーのスポーツ競技問題」だ。トランスジェンダー選手の活躍は東京五輪でのニュージーランドの重量挙げのローレル・ハバード選手や米国のの大学水泳のリア・トーマス選手が比較的よく知られている。問題とされているのは男性から女性に性別を変更した場合の身体的な優位さだ。性別変更する前から大学の男子水泳チームに属していたトーマス選手の場合、性別移行の過程で筋力が低下したものの、女子のカテゴリーでも上位の成績を収めており(2022年時点の500ヤード自由形では女子チームで1位)、2024年の夏季五輪選考会に出場する意向を示していた。

但し、トーマス選手の五輪出場は制度変更で不可能となったようだ。2022年6月に国際水泳連盟トランスジェンダー選手の出場に制限を設けたため、男性として思春期を経験しているトーマス選手の五輪出場は認められなくなった。

トランスジェンダーのスポーツ競技参加については色々な考え方があるが、筆者は2つの理由から「制限を設けるのが妥当」と考えている

一つは「差別を排除した結果、公平性が失われる」ことの不合理さだ。トランスジェンダー選手に対する差別を排除し、機会均等を与えることは社会として継続すべきだが、その結果、公平性を失われることがあることは許容されるべきではない。スポーツ選手は生まれつきの体格や身体能力等で不公平さがあるから、この程度の不公平さも許容されるべきとの議論もあるようだが、不公平を積極的に作り出す必要はない。

もう一つの理由はトランスジェンダー選手を非トランスジェンダー選手と同列で競技させる」ことが合理性に欠く点だ。男性から女性に転換した選手を女性として扱わないことを「差別」と言い募る人もいると思うが、そもそも異なるカテゴリーに属するべきなのだ。これは第三、第四の性としてカテゴリーを作り、その中で競技してもらうのが妥当ではないか

スポーツ競技において、トランスジェンダー選手への配慮が過剰と感じるのは自分だけだろうか。リベラルな人の一部は「差別を完全に排除する」ことを重視しすぎるあまり、トランスジェンダー選手に過剰に配慮する傾向があるが、その結果として、例えば生物学的に女性として生まれたアスリートが競争で不利な立場に置かれることは、とても公平とは思えない。「差別の排除が不公平に繋がる」仕組みを積極的に作り出すことは避けるべきではないか。

(参考にしたサイト)

https://www.sankei.com/article/20220924-RPVYROJ3D5ICLOX3JUAJDLRWGU/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9

https://www.marriageforall.jp/marriage-equality/japan/