一歩下がって考えてみた-Black tee thinking

50代、海外在住です。日々気づいたことを書き溜めています。

なぜ四大文明の繁栄は続かなかったのか(2023年5月8日)

 四大文明はなぜ長続きしなかったのか。考えてみれば不思議である。最近、中東の国をいくつか訪れて改めて感じた。文明が未発達な中でも多くの人口を支えるだけの農作物が収穫できた豊かな土地である。その後も繁栄が継続出来なかったのは何故だろうか。

歴史を概観すると、四大文明の各地域はそれぞれ繁栄はしていたが、他地域との比較で競り負けたというのが実態だろう。そもそも肥沃な土地を擁して周辺国の支配は受けた時期はあったものの、それぞれ豊かな文化を形成し繁栄していた。しかし後から勃興してきた欧州各国に競り負けて支配され、現在に至っているということだ、

面白いのは四大文明全てにおいて英国が支配勢力として登場していることだ。インドにおいては1600年代から経済活動の拠点を設置し、1858年のインド帝国設立に至るまで徐々に勢力を浸透させた。中国では1700年代に進出し、1839年阿片戦争を経て香港の割譲や主要港の開港を勝ち取っている。エジプトは多額の借款を梃にして1875年に保護国としており、イラクについては第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国から割譲を受ける形で1920年委任統治領としている。四大文明が束になっても英国に敵わなかった構図だ。

英国がここまで力をつけたのは1700年代半ばから始まった産業革命が大きい産業革命が英国で最初に起こったのは社会や経済面での環境整備や資本の蓄積等の要因もあるが、決定的な差となったのは市場と原材料供給の二つの役割を果たす植民地の保有だ。海洋国家として物流も押さえていたことも大きい。スペインやオランダから良い時期に海洋覇権を勝ち取っったことも幸運だったと言えよう。

そして英国を含む欧州地域がここまで力をつけたのは戦争が継続して発生したからだ。欧州諸国は1500年代から1700年代にかけて新大陸やアジア・アフリカ地域の植民地化を進めたが、それが可能になったのは欧州勢力が軍事力で優位にあったからであり、それは地域内で頻繁に発生する戦争を通じて武器製造の技術が飛躍的に伸長したからに過ぎない。

つまり最終的に重要なのは「軍事技術力の優位性」ということになる。少し前までは軍事オプションは過去の遺物扱いされていたが、ロシア・ウクライナ戦争でも軍事力の重要性が再認識されている。日本も軍事技術力を高度に維持する方策を考えたほうがよさそうだ。